2011年07月31日

温知洞・雲の科学(昭和24)

 昭和24年4月24日から29日は「雲の科学」静岡測候所長の木野氏をお呼びして座談会と写真展が開かれました。




 最近島田もそうでしたが集中豪雨がよくあります。その原因、メカニズムについて専門家をお呼びして聞くような会も必要ですね。気象観測も自動化され人がいなくなり測候所という語句も消えた感じがします。(例えば富士山、御前崎)

 8月の温知洞メモリアルは清水真一さんが書いた「金谷の2つの芭蕉碑の説明文と写真」を展示しました。
   金谷長光寺の芭蕉句碑
  


Posted by 清水真一翁顕彰会 at 10:03Comments(0)清水真一氏の話題

2011年07月30日

島田市芸能文化協議会

 昭和42年ごろ、島田市芸能文化協議会が市民参加で設立されました。新しくできた市民会館にいろいろな芸術団体をよび多くの公演が行われました。 例えば
  昭和42年7月・・松竹歌舞伎(中村勘三郎)、10月・・アンネの日記(劇団民芸)
  昭和43年1月・・新春寄席(柳家小さん他)、2月・・文楽公演、 3月・・女の一生(文学座)、 4月・・読売日本交響楽団演奏会、 5月・・子どもの劇場(文学座)、7月・・松竹歌舞伎(義経千本桜)、 9月・・牧阿佐美バレー団公演、 12月・・毎日音楽コンクール入賞者発表会
  昭和44年1月・・宝塚歌劇団公演、 5月・・ウイーン少年合唱団公演
といった様子です。その後島田市芸能文化協議会は解散、文化協会が発足しました。



  昭和52年ごろの役員名簿
  


Posted by 清水真一翁顕彰会 at 10:05Comments(0)島田の話題

2011年07月29日

大島三原山・火山の話(6)

  大島は伊豆7島最大の火山島です。島の中央部にカルデラがあり、その南西部に現在活動中の中央火口丘三原山(758m)があります。カルデラ内の活動は8世紀以降からで三原山が成長を始めたのは江戸時代以降で、噴出した溶岩(玄武岩質)が海まで達しました。最近では1986年11月大きな噴火をしました。溶岩が花火のように吹き上がり、ふもとに流れ島の人たちは船で避難しました。(その前の噴火は1950年代) 
  1987年2月に大島に行きました、流れた溶岩はまだ熱を帯びていてちょうど暖房かわりになりました。


   大島の東岸の沖・筆島(水蒸気爆発が近くでおきた)


   大島の古い活動が記録された地層大断面(大島南西部、千浪崎近く)
  


Posted by 清水真一翁顕彰会 at 10:52Comments(0)旅行・自然・文化

2011年07月28日

ルクソール西岸(死者の都)

 王家の谷や王妃の谷などはナイル川から西3kmにあるメムノンの巨像(高さ16mほど)を中心に2km以内に点在しています。(2006年4月) 
     ナイル川の橋をわたり西岸・死者の都に


     メムノンの巨像


 王家の谷にはたくさんの王の墓があり、いくつかの墓に入ることができます。


    ツタンカーメンの墓の入り口付近、いろいろな説明文・写真あり(中味はカイロの博物館に)



   ハトシェプスト女王葬祭殿(エジプトで初めての女王、巨大なテラスが3段あり目立つ、褐色の切り立った崖を背景に扇形に広がる地形を利用して建てられた。1997年、ここでテロリストによる銃乱射事件があり日本人を含む62名の方が亡くなった)へ、入り口付近 


      鳩の料理
  


Posted by 清水真一翁顕彰会 at 10:14Comments(0)旅行・自然・文化

2011年07月27日

大雨・時間雨量90mm

  今朝はすごい雷雨でしたね。午前7時から8時の時間雨量、我が家の雨量計は89mmを記録しました。8時すぎても続いたので、この1時間90mmは降ったのではないかと思います。
   川も増水、この写真の前は溢れたとか


  今までの時間雨量の最大は1998年9月23日夜、94mm(22から24時の2時間で164mm)ですが、この時は初倉の月坂で避難勧告がでたような記憶がします。
 今年、1日の総雨量が100mm以上の日は今日と7月20日そして2月28日でした。また、2004年の10月は1日の総雨量が200mm以上の日が2回ありました。
  


Posted by 清水真一翁顕彰会 at 11:00Comments(0)島田の話題

2011年07月26日

大津散策・慶寿寺 

  慶寿寺は「しだれざくら」で有名ですが、23日初めて訪れました。


  入り口に「今川範氏」と「大野九郎兵衛(赤穂の浪人)」の墓案内があったので寄ってみました。大野の墓はどんな縁でここにあるのか調べてみたいと思います。


    今川範氏、八幡宮


  大津には城山(バラの丘公園の近く)など戦国時代の城跡があるようですが、この寺の奥にも今川城趾という案内がありました。
  


Posted by 清水真一翁顕彰会 at 09:59Comments(0)島田の話題

2011年07月25日

島田空襲(1945.7.26)

   昭和20年7月26日、島田の扇町(普門院付近)に爆弾が投下され40名(即死33)の方が犠牲となりました。この時のことについて横井に住んでいた母から「ものすごい大きな音がしてびっくりした」ときいたことがあります。
 この爆弾はその後の研究で「バンプキン爆弾」といい、8月6日に広島を襲った原子爆弾の投下実験(練習)の空襲だったということがわかりました。
 2度と戦争を起こさないため、このような出来事は語り継がねばと思います。現在おおるりの展示ホールで島田空襲写真パネル、戦争資料などの展示会が開かれています(27日まで、昼間)「島田市扇町・被爆の記録」の冊子もおいてありました。明日26日には扇町公園で慰霊のつどいが行われるようです。

  


Posted by 清水真一翁顕彰会 at 09:31Comments(0)島田の話題

2011年07月24日

大津散策・天徳寺

 ここ数日やや涼しいので自転車で大津周辺をまわってみました。
  天徳寺(曹洞宗、富洞山)は14世紀末、大分県(豊後)の泉福寺7世・大通融士(だいつうゆうし)和尚が開いた寺で現在の場所より奥(会下沢)にあったそうです。江戸時代はじめ島田代官・長谷川藤兵衛長勝が現地に移し中興、本寺は泉福寺から焼津の林そう院になりました。江戸時代末期の火災で山門以外焼けてしまいましたが、明治中期復興しました。 
     天徳寺


     本堂


  山門から冠木門にかけての「つばき(さざんか)のトンネル」


 県の文化財になっている「山門」と本堂の奥にある長谷川家の墓地を今度訪れた時はしっかり見たいと思います

  大津尾川(バラの丘の北)にある長谷川家長屋門(市指定文化財)
     


Posted by 清水真一翁顕彰会 at 10:16Comments(0)島田の話題

2011年07月23日

島田市民の歌

新しい島田市歌については賛否両論がありましたが、旧島田市歌のメロディをそのまま使い、歌詞のみ新しくする形で決着をみました。
 ところで旧島田市には市歌のほかに「市民の歌」があったことをご存知ですか?1959(昭和34)年ごろ制定され、残念ながらいつのまにか忘れられました。作曲は川口雅功さん、作詞は市の元職員で横井町に住んでいた谷村茂さんでした。
 


      歌詞は以下のとおり。
 (1番) 街の家並が工場が いまあさかぜによみがえる 鋸のひびきのこころよさ つむのめぐりのさわやかさ はたらくもののしあわせが 島田のまちにあふれてる
 (2番) 野辺はみどりにかがやいて いつも呼んでる招いてる 茶の芽の萌える丘のみち みかんの花の散るこみち 土の息吹きがうたごえが みなのゆくてにみちている
(3番) 大井川原の松かげは むかしをしのぶおもかげか 流れのきしのぐみの実よ あああこがれはほのぼのと 白い雲から湧いてくる

  


Posted by 清水真一翁顕彰会 at 09:28Comments(0)島田の話題

2011年07月22日

伊豆神津島・火山の話(5) 

 神津島は三宅島と式根島の間にあり、下田からは船で約2時間30分で行くことができます。南北6.5km、東西4kmのひょうたん型をしており天上山(標高571m、最近の火山)を中心とした北部と秩父山(少し古い時代の火山)のある南部とに大きく分けられます。


 八丈島、三宅島、大島などが玄武岩質の溶岩を主体的に活動しているのに対して、神津島は流紋岩を主とする火山です。天上山には火口原があり、838年(承和5年)に大規模な噴火をしています(これが一番最近の活動)。この島で産出する黒曜石は古代から石器の材料として利用されています。
      左が黒曜石、 右の白い石が流紋岩
  


Posted by 清水真一翁顕彰会 at 10:33Comments(0)旅行・自然・文化