2011年08月31日
タシケントの地下鉄・公園・スーパー

タシケントには中央アジア唯一の地下鉄が走っています。乗車券(距離に関係なく一律30円)を買い改札を通る時にはビザ(パスポート)の提示が求められました。内部は広く集会でもできるようなスペースもありました。圧巻は電車ホームの壁、支柱、天井の装飾です、駅ごと装飾がことなり個性的、これをみたさに何回も利用しました。例えばコスモ・・駅は宇宙を意味するのか、壁には宇宙飛行士(テレシコワさんなど)や天文学者のレリーフが飾られていました。内部は写真撮影禁止のため紹介できず残念です。
地下鉄の入り口。「赤いM」が地下鉄の駅の案内(警官の姿が少しみえる)

もうお気づきと思いますが、物価は安い(特に交通機関)。1円は現地通過で約20スム、最大のお札が1000スム(50円)のため、1万円札1枚を両替すると、このお札が200枚以上、財布には入りきれませんでした。水は1000mlが1000スム以下。
1000スムの札、20枚あっても1000円分

スーパーの中、果物など小売り可能、質量で値段が決まる(手前は測定用のレジ)

ウズベキスタンのどの都市も公園がたくさんあり広い面積を占めており、緑豊かという感じでした。
日本文化センター付近

ティムール広場

公園の中には青空売店が(写真はたくさんの絵画が路上におかれ販売中)

地下鉄の入り口。「赤いM」が地下鉄の駅の案内(警官の姿が少しみえる)
もうお気づきと思いますが、物価は安い(特に交通機関)。1円は現地通過で約20スム、最大のお札が1000スム(50円)のため、1万円札1枚を両替すると、このお札が200枚以上、財布には入りきれませんでした。水は1000mlが1000スム以下。
1000スムの札、20枚あっても1000円分
スーパーの中、果物など小売り可能、質量で値段が決まる(手前は測定用のレジ)
ウズベキスタンのどの都市も公園がたくさんあり広い面積を占めており、緑豊かという感じでした。
日本文化センター付近
ティムール広場
公園の中には青空売店が(写真はたくさんの絵画が路上におかれ販売中)
2011年08月30日
SLフェスタ・タシケント鉄道博物館版

タシケント駅のすぐ近くに「鉄道技術博物館」があり見学にでかけました(8月24日)。入場料は25円。ソ連時代につくられたSLがたくさん展示されており圧倒されました。そのいくつかを紹介します。
鉄道技術博物館の入り口(9月1日から新幹線開業のたれまく)

展示されているSLとその運転台内部の様子、運転台からの景色(タシケント駅方向、路面電車)



1932年製造のSLとプレート


展示された車両はすべて屋外、散歩しながらみていきますが、見学用に短距離を動く車両があり(1人50円)のることもできます。

鉄道技術博物館の入り口(9月1日から新幹線開業のたれまく)
展示されているSLとその運転台内部の様子、運転台からの景色(タシケント駅方向、路面電車)
1932年製造のSLとプレート
展示された車両はすべて屋外、散歩しながらみていきますが、見学用に短距離を動く車両があり(1人50円)のることもできます。
2011年08月29日
ベガワード日本人墓地と沿線風景

叔父さんの墓地があるベガワード市はタシケントの南南西150kmほどの所にあり、8月26日に行きました。ガイドも日本人墓地に行くのは初めてで、現地に行ってから地元の人にききながら捜しました。
最初案内された日本人墓地です。地元の方の墓地の奥に、しかし叔父さんの名前がありません。


偶然そこで出会った方が自分の家の近くにあるというのでその人の案内で次の墓地に行きました。水量の多い川沿いの反対側に日本人墓地があり、鎮魂碑の裏側の埋葬者一覧表を見ると名前が見つかりました。叔父さんの命日は8月25日、65年たってやっと直接お参りをすることができました(家や島田の写真を見せました)。




収容所の日本人は川の近くの水力発電所や運河の建設工事の労働を強いられた

タシケントとベガワードの間はのんびりした農村風景、シルクロードの世界です。
山のふもとは隣国タジキスタン



最初案内された日本人墓地です。地元の方の墓地の奥に、しかし叔父さんの名前がありません。
偶然そこで出会った方が自分の家の近くにあるというのでその人の案内で次の墓地に行きました。水量の多い川沿いの反対側に日本人墓地があり、鎮魂碑の裏側の埋葬者一覧表を見ると名前が見つかりました。叔父さんの命日は8月25日、65年たってやっと直接お参りをすることができました(家や島田の写真を見せました)。
収容所の日本人は川の近くの水力発電所や運河の建設工事の労働を強いられた
タシケントとベガワードの間はのんびりした農村風景、シルクロードの世界です。
山のふもとは隣国タジキスタン
2011年08月28日
シベリア抑留・ウズベキスタン墓参

みなさんご存知のとおり戦後60万近い日本人がシベリアに抑留され強制労働を強いられ、4万人以上の方が収容所で亡くなりました。私の叔父もその一人でウズベキスタンまで連行されました(2.5万人、うち死亡者1500人ほど)。叔父さんがどんな場所で働かされ亡くなったのかこの眼で確かめたい、墓参もしたいと思い19日から27日までウズベキスタンに行ってきました。
首都タシケントにあるヤッカサライ日本人墓地にはウズベキスタン13ヶ所の収容所で亡くなった方の合同鎮魂碑がありました。
ヤッカサライ日本人墓地は地元の方の大きな墓地の一角にあります(写真の奥)。

墓地の内部、鎮魂碑や墓標代わりの石の板

叔父さんの墓地がある「ベガワード」の碑(現地の様子は次回に紹介します)

日本人が建設した新市内の中心部にあるナヴォイ劇場の建物(ガイドのオクサナさんと)

9月1日の独立20周年式に向けてスローガンが多数(人民友愛宮殿前)

タシケント旧市内のバザールの建物と内部(新市内地区とは雰囲気がことなる)

首都タシケントにあるヤッカサライ日本人墓地にはウズベキスタン13ヶ所の収容所で亡くなった方の合同鎮魂碑がありました。
ヤッカサライ日本人墓地は地元の方の大きな墓地の一角にあります(写真の奥)。
墓地の内部、鎮魂碑や墓標代わりの石の板
叔父さんの墓地がある「ベガワード」の碑(現地の様子は次回に紹介します)
日本人が建設した新市内の中心部にあるナヴォイ劇場の建物(ガイドのオクサナさんと)
9月1日の独立20周年式に向けてスローガンが多数(人民友愛宮殿前)
タシケント旧市内のバザールの建物と内部(新市内地区とは雰囲気がことなる)
2011年08月19日
昭和51年スイスロマンド管弦楽団

1976年11月4日、市民会館で「スイス・ロマンド管弦楽団」の演奏会が行われました(10月28日から11月10日まで日本で10回公演、その後ソウルで2回公演して帰国しました)。
指揮:ウォルフカング・サヴァリッシュ
演奏曲: ベートーベン「田園」、ベルリオーズ「幻想交響曲」
島田での演奏はBプログラムでした、日本公演パンフレットの表紙

スイス・ロマンド管弦楽団は1918年創立、エルネスト・アンセルメが50年間にわたり指揮をしながら育た楽団です。学生のころアンセルメ指揮の「ブラームスの交響曲第4番」のレコードを買い聴いていたので、島田で生の演奏がきけると興奮したことを思い出しました。
指揮:ウォルフカング・サヴァリッシュ
演奏曲: ベートーベン「田園」、ベルリオーズ「幻想交響曲」
島田での演奏はBプログラムでした、日本公演パンフレットの表紙
スイス・ロマンド管弦楽団は1918年創立、エルネスト・アンセルメが50年間にわたり指揮をしながら育た楽団です。学生のころアンセルメ指揮の「ブラームスの交響曲第4番」のレコードを買い聴いていたので、島田で生の演奏がきけると興奮したことを思い出しました。
2011年08月18日
70年代N響島田公演・岩城宏之

島田市芸能文化協議会の主催で昭和49.50.52年と頻繁にNHK交響楽団の島田公演がありました。
昭和49年8月4日 指揮:秋山和慶
ベートーベン「田園」、ワーグナー「タンホイザー序曲」、メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」
昭和50年9月28日 指揮:岩城宏之
ドヴォルザーク「新世界より」、ウエーバー「魔弾の射手序曲」、モーツアルト「交響曲40番」
昭和52年8月6日 指揮:岩城宏之 、 独奏:田中千香士
ベートーベン「運命」、メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」、ベートーベン「エグモント」

残念ながら、私は仕事の関係で3回ともききに行けませんでした。岩城宏之さんについてはTVでみたりレコードを持っていたので、生の指揮を見たかったと今でも悔いに残っています。
昭和49年8月4日 指揮:秋山和慶
ベートーベン「田園」、ワーグナー「タンホイザー序曲」、メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」
昭和50年9月28日 指揮:岩城宏之
ドヴォルザーク「新世界より」、ウエーバー「魔弾の射手序曲」、モーツアルト「交響曲40番」
昭和52年8月6日 指揮:岩城宏之 、 独奏:田中千香士
ベートーベン「運命」、メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」、ベートーベン「エグモント」
残念ながら、私は仕事の関係で3回ともききに行けませんでした。岩城宏之さんについてはTVでみたりレコードを持っていたので、生の指揮を見たかったと今でも悔いに残っています。
2011年08月17日
恵比寿の街・東京都写真美術館

恵比寿の駅から徒歩10分ほどの所に東京都写真美術館があります。ここで今「昭和史のかたち」江成常夫写真展が開催されており10日の午後見学しました。彼は「アジア太平洋戦争」のもとで、死と涙を強いられてきた内外の、声を持たない人たちの声を写真で代弁することで、戦後日本人の現代史に対する精神性を問い続けています。昭和の歴史をふりかえり、二度と戦争を起こしてはならないと考えさせられる良い催しでした。
今月21日(日)夜10時から11時30分までNHKのETV特集で「霊魂を撮る眼 写真家・江成常夫の戦跡巡礼」というタイトルで紹介されます。


なお、この界隈はおしゃれな雰囲気で若者をはじめ多くの人で賑わっています。

何かのイベントがあり、すごい人だかり
今月21日(日)夜10時から11時30分までNHKのETV特集で「霊魂を撮る眼 写真家・江成常夫の戦跡巡礼」というタイトルで紹介されます。
なお、この界隈はおしゃれな雰囲気で若者をはじめ多くの人で賑わっています。
何かのイベントがあり、すごい人だかり
2011年08月16日
平和祈念式典と戦死したサッカー選手

昨日、午前おおるりで島田市平和祈念式典があり、知覧特攻平和会館の語り部の方が「命の尊さと親子の絆」と題して30分ほど平和へのメッセージを語りました。島田市から2人の特攻隊員がいたことを知りました。特攻・命と爆弾が同じひどい非常識な作戦です。

ところで14日の夜のNHKTVサンデースポーツで「長谷部誠選手が訪れる日本サッカーの原点・ベルリンの奇跡」が放映されました。

内容は1936年のベルリンオリンピックに出場したサッカーの日本代表についてで、前評判の低い日本チーム(学生主体だったので修学旅行にきたのかと酷評されるぐらい)が予想を裏切り欧州の国に0-2から追いつき逆転3-2で勝ちました。これは偶然ではなく、日本で戦術を考え練習した成果であり、日本サッカーの原点となり、この姿勢が今に受け継がれているという説明でした。この時の日本代表の選手の多くは戦争にかり出されました。逆転のゴールを決めた選手は藤枝東高校(当時志太中)OBの松永行さんで、松永さんはガナルカナル島で戦死しました。戦場でも仲間にサッカーを教えていたとか、無念です。
ところで14日の夜のNHKTVサンデースポーツで「長谷部誠選手が訪れる日本サッカーの原点・ベルリンの奇跡」が放映されました。
内容は1936年のベルリンオリンピックに出場したサッカーの日本代表についてで、前評判の低い日本チーム(学生主体だったので修学旅行にきたのかと酷評されるぐらい)が予想を裏切り欧州の国に0-2から追いつき逆転3-2で勝ちました。これは偶然ではなく、日本で戦術を考え練習した成果であり、日本サッカーの原点となり、この姿勢が今に受け継がれているという説明でした。この時の日本代表の選手の多くは戦争にかり出されました。逆転のゴールを決めた選手は藤枝東高校(当時志太中)OBの松永行さんで、松永さんはガナルカナル島で戦死しました。戦場でも仲間にサッカーを教えていたとか、無念です。
2011年08月15日
原発事故と東京・第五福竜丸展示館

7月3日NHKETV特集で「大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話」が放映されました。この中で改めて次のような事実が紹介されました。
1954年3月1日、米国ビキニ水爆実験で第五福竜丸被爆、
8月、広島で第1回原水爆禁止世界大会開催(反核運動の盛り上がり)
9月24日、福竜丸無線長久保山愛吉さん亡くなる、
55年1月4日、日米合意文書に調印し事件を政治決着、米国を免責、
1月、「健康の問題はない」入院中の乗組員を全員退院させる。
4月28日、原子力平和利用懇談会発足、原子力平和キャンペーン始まる。
「原子力の平和利用」をてこに反核の日本世論を懐柔、放射能の恐ろしさを意識的に忘れさせ、原発安全神話、電力の30%を原発に依存という現在につながっていきます。55年の政治決着の後、事件のことは語らず暮らしていた大石さんは乗組員の仲間の何人かが50歳ぐらいの若さで癌でなくなるのをみて、放射能の恐ろしさを伝えるため発言を始めます。
この番組が収録された場所が東京、夢の島にある「第五福竜丸展示館 」でした。以前から存在は知っていましたが行ったことがなかったので、10日午前行きました。TDLの近く、新木場駅下車、徒歩10分、入場無料です。現在の福島原発事故と関連させながら「第五福竜丸の被爆」を考えるには良い場所です。みなさんぜひお出かけ下さい。
展示館入り口

以下、内部の様子

第五福竜丸の船体

親子の見学者も多い、修学旅行で訪れる学校も

展示館周辺の様子
1954年3月1日、米国ビキニ水爆実験で第五福竜丸被爆、
8月、広島で第1回原水爆禁止世界大会開催(反核運動の盛り上がり)
9月24日、福竜丸無線長久保山愛吉さん亡くなる、
55年1月4日、日米合意文書に調印し事件を政治決着、米国を免責、
1月、「健康の問題はない」入院中の乗組員を全員退院させる。
4月28日、原子力平和利用懇談会発足、原子力平和キャンペーン始まる。
「原子力の平和利用」をてこに反核の日本世論を懐柔、放射能の恐ろしさを意識的に忘れさせ、原発安全神話、電力の30%を原発に依存という現在につながっていきます。55年の政治決着の後、事件のことは語らず暮らしていた大石さんは乗組員の仲間の何人かが50歳ぐらいの若さで癌でなくなるのをみて、放射能の恐ろしさを伝えるため発言を始めます。
この番組が収録された場所が東京、夢の島にある「第五福竜丸展示館 」でした。以前から存在は知っていましたが行ったことがなかったので、10日午前行きました。TDLの近く、新木場駅下車、徒歩10分、入場無料です。現在の福島原発事故と関連させながら「第五福竜丸の被爆」を考えるには良い場所です。みなさんぜひお出かけ下さい。
展示館入り口
以下、内部の様子
第五福竜丸の船体
親子の見学者も多い、修学旅行で訪れる学校も
展示館周辺の様子
2011年08月14日
世界遺産・平泉中尊寺など

9日の午前中は平泉観光をしました。駅から徒歩で1.6km中尊寺の山門へ、ここから坂道を700mほど登り中尊寺の本堂にたどり着きました。途中弁慶堂付近からの田園風景は絵になる感じ。本堂によった後金色堂に入りました。黄金色の美しさに引かれました。
中尊寺入り口(平日でも観光客が多い)

中尊寺の本堂、少し地味な感じでした(入母屋造りの大屋根が目立つ?)

金色堂の入り口(奥の建物の中に)

芭蕉句碑(五月雨の降り残してや光堂)

金色堂旧覆堂(現在の覆う建物ができる前はここに金色堂があった)のその内部

平泉のもう一つの名所は駅から700mほどの場所にある毛越寺(もうつうじ)。浄土を表現した庭園が美しい。
毛越寺庭園の東の旧観自在王院庭園

なお中尊寺や毛越寺など平泉の観光ポイントをまわる巡回バス「るんるん」が平日は30分おき、土祝日は15分おきにでています。
中尊寺入り口(平日でも観光客が多い)
中尊寺の本堂、少し地味な感じでした(入母屋造りの大屋根が目立つ?)
金色堂の入り口(奥の建物の中に)
芭蕉句碑(五月雨の降り残してや光堂)
金色堂旧覆堂(現在の覆う建物ができる前はここに金色堂があった)のその内部
平泉のもう一つの名所は駅から700mほどの場所にある毛越寺(もうつうじ)。浄土を表現した庭園が美しい。
毛越寺庭園の東の旧観自在王院庭園
なお中尊寺や毛越寺など平泉の観光ポイントをまわる巡回バス「るんるん」が平日は30分おき、土祝日は15分おきにでています。