2011年08月16日
平和祈念式典と戦死したサッカー選手

昨日、午前おおるりで島田市平和祈念式典があり、知覧特攻平和会館の語り部の方が「命の尊さと親子の絆」と題して30分ほど平和へのメッセージを語りました。島田市から2人の特攻隊員がいたことを知りました。特攻・命と爆弾が同じひどい非常識な作戦です。

ところで14日の夜のNHKTVサンデースポーツで「長谷部誠選手が訪れる日本サッカーの原点・ベルリンの奇跡」が放映されました。

内容は1936年のベルリンオリンピックに出場したサッカーの日本代表についてで、前評判の低い日本チーム(学生主体だったので修学旅行にきたのかと酷評されるぐらい)が予想を裏切り欧州の国に0-2から追いつき逆転3-2で勝ちました。これは偶然ではなく、日本で戦術を考え練習した成果であり、日本サッカーの原点となり、この姿勢が今に受け継がれているという説明でした。この時の日本代表の選手の多くは戦争にかり出されました。逆転のゴールを決めた選手は藤枝東高校(当時志太中)OBの松永行さんで、松永さんはガナルカナル島で戦死しました。戦場でも仲間にサッカーを教えていたとか、無念です。
ところで14日の夜のNHKTVサンデースポーツで「長谷部誠選手が訪れる日本サッカーの原点・ベルリンの奇跡」が放映されました。
内容は1936年のベルリンオリンピックに出場したサッカーの日本代表についてで、前評判の低い日本チーム(学生主体だったので修学旅行にきたのかと酷評されるぐらい)が予想を裏切り欧州の国に0-2から追いつき逆転3-2で勝ちました。これは偶然ではなく、日本で戦術を考え練習した成果であり、日本サッカーの原点となり、この姿勢が今に受け継がれているという説明でした。この時の日本代表の選手の多くは戦争にかり出されました。逆転のゴールを決めた選手は藤枝東高校(当時志太中)OBの松永行さんで、松永さんはガナルカナル島で戦死しました。戦場でも仲間にサッカーを教えていたとか、無念です。
Posted by 清水真一翁顕彰会 at 10:35│Comments(0)
│島田の話題
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