2010年10月07日
大津通公園内の石碑
5丁目の通りから、北に少し入った”こばと保育園”の東側に大津通公園がある。この中に「山本拝石翁 鉄筆碑」が建っている。
山本拝石は天保元年三島生まれ、18歳ごろ島田の山本家の養子となった。明治になり上京、官途についた(海軍、大倉、文部)。職を辞した晩年は風流文雅悠々自適の生活を送り明治45年82歳で亡くなった。篆刻、書に秀でており、公園の碑は碑形を印材に模し拝石の印影を拡大模刻もの(碑の横面に)で昭和56年島田市により建碑された。碑の正面には清水真一翁の篆刻と山本拝石の紹介文が書かれている。台座の石材は片麻岩。
また公園の東には元島田町長”置塩とう園”氏(在任大正6年~14年)のお宅があり、庭内に「置塩とう園翁詩碑」が建っている。
置塩とう園の”とう”は写真のような漢字です。置塩氏は明治、大正の島田の文化人で山本拝石とも親交があった。平成20年11月から島田市博物館の第47回企画展で氏の多くの資料が展示され、パンフレット(資料集)も作られ、現在も博物館で販売されている。
この写真の碑(大井神社内)については明日紹介します。
山本拝石は天保元年三島生まれ、18歳ごろ島田の山本家の養子となった。明治になり上京、官途についた(海軍、大倉、文部)。職を辞した晩年は風流文雅悠々自適の生活を送り明治45年82歳で亡くなった。篆刻、書に秀でており、公園の碑は碑形を印材に模し拝石の印影を拡大模刻もの(碑の横面に)で昭和56年島田市により建碑された。碑の正面には清水真一翁の篆刻と山本拝石の紹介文が書かれている。台座の石材は片麻岩。
また公園の東には元島田町長”置塩とう園”氏(在任大正6年~14年)のお宅があり、庭内に「置塩とう園翁詩碑」が建っている。
置塩とう園の”とう”は写真のような漢字です。置塩氏は明治、大正の島田の文化人で山本拝石とも親交があった。平成20年11月から島田市博物館の第47回企画展で氏の多くの資料が展示され、パンフレット(資料集)も作られ、現在も博物館で販売されている。
この写真の碑(大井神社内)については明日紹介します。
Posted by 清水真一翁顕彰会 at 22:05│Comments(0)
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