2011年05月31日

ポンペイ遺跡見学記

    旅行当時(1996年)書いた文をそのまま使います。
  ローマからポンペイの遺跡へはバスで約4時間、1860年から組織的な発掘が進められポンペイ(当時の人口は2万人ほど、商人が多く各種の産業が発達していた,町は500m四方の城壁で囲まれている、南端は海と通じていた)の姿が復元されつつある。イタリアの夏は昼は30度を越す暑さ、しかし日陰は涼しい。この暑さの中2時間かけて遺跡をまわった。家の柱、石畳の道路、広場、金持ちの家やパンやきのカマド跡などが迷路のように並んでいた。一番印象に残ったのは脱衣場に展示された犠牲者の石膏象だった。ここからは噴火の危険を少しも感じさせないべスビオ火山がよく見えた。
     ポンペイ遺跡の入り口
ポンペイ遺跡見学記

ポンペイ遺跡見学記
     
          パン焼きのかまど跡
ポンペイ遺跡見学記
        火砕流による犠牲者の石膏像
ポンペイ遺跡見学記

 このナポリ・ポンペイツアーは今回の旅行唯一の日本語ガイドつき集団行動であった(それ以外は1人旅)。気が緩んだのかポンペイの遺跡見学の途中、カメラの望遠レンズの取り替え等で時間がかかりふとみると仲間がいない、迷路のような中、地図もなく一人とり残されてしまった。わかるのはべスビオ火山と歩いた所との位置関係だけで少しあせったが、これを頼りに迷った時の集合場所にたどりつくことができた。まだ時間があったので安心して一人でまわった。中に一つだけ土産物屋があった。日本人はきっとここに寄ると思い待っていると仲間たちがきて再会できた。何人かの人が心配して捜してくれたようですまなく思った。
         後の山はペスビオ火山
ポンペイ遺跡見学記


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Posted by 清水真一翁顕彰会 at 09:20│Comments(0)旅行・自然・文化
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