2011年08月13日
気仙沼の今
海岸線を走る鉄道はまだ不通のため、松島からいったん東北線で一関まで行き、大船渡線を使い気仙沼に8日の午後着きました。
気仙沼の駅は海岸から1km以上ははなれ少し高台にあるため被害はすくないようでしたが、この先の鹿折唐桑駅やここから分岐する気仙沼線の南気仙沼駅は津波被害で線路は今も不通になっています。
駅から徒歩で観光桟橋まで歩きました。海岸付近の建物の被害の大きさが目に入ると言葉もでませんでした。瓦礫などは片づけられていましたが、砂埃がまい、残った建物は当時のまま、津波のエネルギーの大きさにも驚かされました。帰りはタクシーで駅に戻りました。
市役所をすぎて、少し行った所から景色は大きく変わりました
町の中にまだ船が
桟橋付近にあった「森進一・港町ブルース」の歌碑も台座が傾き・・・
汽車の行き帰り、同じ高校生の団体と一緒でした、インターハイに出場し時間がとれたので被災地の生の姿をみるという目的のようでした。どこの県からときいたら静岡県という返事びっくりしました。
また、震度6とか7の場所でも家屋の倒壊はほとんどなく(屋根瓦の被害は多いが)、現在の建築のレベルの高さを感じました。(家屋の倒壊など大きな被害は津波)。
気仙沼の駅は海岸から1km以上ははなれ少し高台にあるため被害はすくないようでしたが、この先の鹿折唐桑駅やここから分岐する気仙沼線の南気仙沼駅は津波被害で線路は今も不通になっています。
駅から徒歩で観光桟橋まで歩きました。海岸付近の建物の被害の大きさが目に入ると言葉もでませんでした。瓦礫などは片づけられていましたが、砂埃がまい、残った建物は当時のまま、津波のエネルギーの大きさにも驚かされました。帰りはタクシーで駅に戻りました。
市役所をすぎて、少し行った所から景色は大きく変わりました
町の中にまだ船が
桟橋付近にあった「森進一・港町ブルース」の歌碑も台座が傾き・・・
汽車の行き帰り、同じ高校生の団体と一緒でした、インターハイに出場し時間がとれたので被災地の生の姿をみるという目的のようでした。どこの県からときいたら静岡県という返事びっくりしました。
また、震度6とか7の場所でも家屋の倒壊はほとんどなく(屋根瓦の被害は多いが)、現在の建築のレベルの高さを感じました。(家屋の倒壊など大きな被害は津波)。
Posted by 清水真一翁顕彰会 at 10:17│Comments(0)
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