2010年11月18日
幕末・島田の領地
今日は昼前に藤枝の「田中城下屋敷」に行きました。中の説明文で驚いたことは各藩の領地が1カ所にまとまっていず、飛び地のようになっていることでした。幕末のころ島田はどうなっていたか紹介します。下の写真、領地ごといろいろな色が使われていますね。
「ピンク」・・大草、落合は美濃岩村藩守領。 「赤」尾川、道悦は旗本知行地。 「うすい緑」旧島田市街地、東光寺、鵜飼は幕府領(天領)。 「青紫」伊太、野田、相賀は掛川藩守領。 「青」は田中藩守領。 千葉山は智満寺領 といった具合です。
志太地区全部の地図です。大井川流域(地図の色づけがありませんが金谷、家山も含む)
は川止めなど幕府の重要地点のため、基本的には天領になっています。
「田中城下屋敷」の紹介は明日します。
「ピンク」・・大草、落合は美濃岩村藩守領。 「赤」尾川、道悦は旗本知行地。 「うすい緑」旧島田市街地、東光寺、鵜飼は幕府領(天領)。 「青紫」伊太、野田、相賀は掛川藩守領。 「青」は田中藩守領。 千葉山は智満寺領 といった具合です。
志太地区全部の地図です。大井川流域(地図の色づけがありませんが金谷、家山も含む)
は川止めなど幕府の重要地点のため、基本的には天領になっています。
「田中城下屋敷」の紹介は明日します。
Posted by 清水真一翁顕彰会 at 15:33│Comments(0)
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